自然素材にこだわった、家族の幸せを「紡ぐ」家づくり。

フクダの想い

フクダは「木にこだわった住まいづくり」

大正3年(1914)に材木商として誕生したフクダの家づくりは、ルーツである木材にこだわり続けています。
素材を見極める技術と知識を今日の住まいづくりに生かしています。

コンセプト

家族の幸せを紡ぐ家

『紡ぐ』とは、 ひとつひとつの想いをつみ重ねていくこと。
家族の想い、日々の暮らし、成長により
物語が紡がれて、『家』は舞台となります。

絆を紡ぐ

「家族」それは子どもにとって最初の社会

家族で過ごす時間が、子どもの豊かな心を育みます。
親の愛情が子どもの心の土台となります。
一緒に食事し、一緒にお風呂に入り、そして一緒に寝る。
そんな当たり前が、家族の幸せです。

コミュニケーションが取れる住まいは、
子どもへ愛情を注ぐための、最高の環境です。
対面キッチンはリビングを見渡せ、
子どもの様子を見守りながら料理ができます。
開放的で、料理中も家族と会話を楽しむことができます。
ひとりひとりが思い思いに過ごしていても、
家族の気配を感じられるように。

コミュニケーションが活発で円満な家庭を築くには、
リビングを家で1番居心地のいい空間にすることが大切です。

笑顔を紡ぐ

ママの笑顔は、家族の幸せ

家事に育児にママは大忙し。
仕事をしていたら、より時間の使い方が重要です。
余裕がなくなってしまうと、夫にも子どもにもイライラ。
本当はいつも優しいママでいたいのに。
家族みんなで笑って過ごしたいのに。
そう、家族の幸せを1番に考えているのがママです。

子どもとの時間を確保しながら、家事ができる間取りが大切です。
また自然素材はストレス軽減、リラックス効果があり、
心にゆとりをもたらしてくれます。
何よりママが笑顔でいられる住まいが、
幸せ溢れる家庭を築いてゆくのです。

ママ、自分を労わってあげてください。
がんばってるね、毎日おつかれさまって。

物語を紡ぐ

想いを未来へ

子どもはあっという間に成長し、
自分のプライベートが必要な時期が訪れます。
子どもの成長と共に、家のかたちも変化していくのです。
子どもが「ただいま」もないまま顔も見せず、
自分の部屋へ行ってしまうのはさみしいことです。
リビング階段にすれば、必ずリビングを通ります。
「おかえり」「いってらっしゃい」が顔を見て言える安心。
家族みんなが揃って暮らせる日々は、一生でほんの一瞬です。
そのかけがえのない時間を、かみしめて暮らしたい。

子どもが将来、ここで過ごした時間は幸せだったと思える愛を
たくさんプレゼントしてあげたい。
その愛を、未来の自分の家族に紡いでいけるように。

天然素材の魅力

製品はできた時が、1番美しい状態です。
年月と共に劣化し、補修や修理を繰り返します。
お金も労力もかかります。

自然素材の住まいは、時間が経つほどに
傷がついたり、色が変化していくのです。
この変化を受け入れることで、思い出の詰まった住まいとなります。

変化する自然素材でできた家に住む人は、
幸せ度数が高いという統計もあります。

人が年をとり、深みを増していくように、
住まいも人と共に想い出が染み込んで、味わい深くなります。

何年経っても、居心地の良い安心を感じることができる。
それが天然素材の魅力です。

フクダは、そんな本物の木の家づくりを届けたい。

フクダの歴史

1914年(大正3年)。
初代福田清助により『福田材木店』として、当時の足利郡小俣村に創業。木材の製材を行い、人力荷車をひき、現場に材料を届けました。

清助の次男、利七が2代目を襲名。
みかんの袋を荷台に積んで、自転車で現場をまわり、「調子はどうだ~」と人付き合いをしていた利七。家では、寡黙で怖い存在でした。

この頃のフクダは、家を建てる大工と、瓦屋や左官屋など職人との懸け橋になり、地域密着の材木屋として定着していきます。

しかし、昭和14年に第二次世界大戦が勃発。利七は軍に召集されることになります。海軍に配属され、地元を離れました。幸いにも無事に帰還し、昭和20年に終戦を迎えます。

安心したのも束の間。
昭和22年にカスリーン台風が日本を直撃。渡良瀬川が氾濫し、もっとも被害が大きかった足利。敷地に平積みされていた丸太が、流されてしまいました。

大工さんにいい材料を届けたいという思いで、材木業を続けました。

昭和26年6月。
3代目となる美佐男が、「有限会社 福田材木店」を設立。
材木屋として材料へのこだわりを追求し、自らも製材の現場で汗を流します。何度も山へ足を運び、自分の目で丸太を買い付けていました。家族旅行にも仕事の伝票を持って行き、営林署に立ち寄り山の木を見るといった、仕事熱心な姿勢で地元の人に支えられてきました。そして、昭和48年「株式会社 フクダ」へ組織変更。

平成12年。
4代目に現在の社長である私、康男が襲名。
この頃、地場の大工さんが減少傾向になります。それに伴い、材木が売れる量が減り始めます。トラックに材木を積み、知らない現場に飛び込みで営業をしたりもしました。「このままではいけない」と、材木屋をメインとしてやってきたフクダが、工務店としての仕事を拡大しようと転換期を迎えます。

しかし、周囲の大工さんからは「材木屋は材料だけ売っていればいいんだ。」「なぜ材木屋が家を建てるんだ。」と、なかなか理解を得られませんでした。
時には、取引をやめるという辛い判断をもらったこともありました。チラシを売り込んだり、他社合同でイベントをやったりと試行錯誤しましたが、期待の反応はなく、眠れぬ日々が続きました。

それでも、私は子どもの頃から木に囲まれて育ち、木が好き。なによりも人が好きで、人との出会い、つながりを大切にしてきました。
まわりの人が、どうしたら喜んでくれるだろう。何を求めているのだろうと、常に意識し行動してきました。その気持ちが少しずつ少しずつ受け入れられ、今のフクダがあります。

今まで様々な組合や団体に加入してきましたが、そこで営業をしたことは一度もありません。たくさんの人と出会い、一生の仲間にも出会えました。
日頃の付き合いで、「福田、お願いできるか?」と言ってもらえることは本当にありがたく、この上ない喜びです。

これからもフクダの歴史を紡ぎ、社員同士の絆を紡ぎ。お客さまとの出会いを大切に、想いや笑顔を紡いでいける会社でありたいと思います。

代表取締役 福田康男